中臣鎌足の墳墓、これだけ貴人の墓の証拠があっても・・・

<スポンサーリンク>

中臣鎌足の墳墓

(復元品:奈良文化財研究所飛鳥資料館蔵)

ある日の新聞に「中臣鎌足の墳墓が見つかった」と書かれていたことです。

歴史(の授業)とは面白い物で、何かが発掘されれば翌日からそれまでの

説が180度ひっくり返ることもあり得ます,とても面白いものだと思います。

その新聞記事が話題になったのは1987年頃のことだと思いますが、

実はこの墳墓=阿武山古墳が見つかったのは1934年、

戦前のことだったそうです。京都大学地震観測所のすぐ近くにあり、

発掘された時にはミイラ化した60歳代の男性の骨の他に、

ガラス玉で作った枕、そして何よりこの古墳が中臣鎌足のものだとされた理由は、

中大兄皇子から鎌足だけに許された「大織冠」が見つかったことでした。

しかし、その他にも金糸を贅沢に使った衣服などが見つかったことから、

「これは皇室に関係する人物の墓ではないか」とされ、当時のことですから

<スポンサーリンク>

発見してから4か月後に軍部により埋め戻されてしまったのです。

それが再び日の目を見たのは、1982年に昔発掘された時に撮っていた

遺体のX線写真等が京都地震観測所で見つかったことでした。

1987年頃には昔撮られたX線から、この男性が腰の骨を折ってしばらく

寝たきりになってから死んだことを示していました。

これは落馬が元で亡くなった鎌足の死因と一致します。

また、高貴な人のみが用いた夾紵棺(棺桶)や中の豪華な金糸類から

考えても、阿武山古墳が中臣鎌足の墓と考えても良いでしょう。しかし、

やはり古文書の鎌足の記事と年代が合わないという指摘もあり、

マスコミでは一時中臣鎌足の墓と断定するような書き方をされ、

私もそれを信じてしまいましたが、歴史はそう簡単には解明の

機会を与えてくれないようです。

どうも学者さんには納得が行かないようである。

それがさらにミステリーめいてくるのだから?・・・



<スポンサーリンク>

サブコンテンツ

TOPへ戻る