前方後円墳(画像)の名付け親は、江戸時代末期の蒲生君平

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画像は大仙陵古墳(伝仁徳天皇陵、大阪府堺市)
最大規模の前方後円墳(5世紀前半-中頃の築造)

前方後円墳の名付け親は、江戸時代末期の儒学者にして尊王論者であった

蒲生君平(1768年~1813年)です。

蒲生君平は、『海国兵談』を表した林子平、

熱烈な尊皇者であった高山彦九郎と並び、

寛政の三奇人と呼ばれた人物です。彼の最も大きな功績は、

全国の天皇陵を歩いて実地を調査したことです。

蒲生君平

出典:船田元オフィシャルブログ

これは、尊皇思想に大きな影響を与えました。その蒲生君平が享和元年(1801年)、

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調査の結果をまとめた書が『山陵史』です。

この書の中で初めて前方後円墳なる言葉が登場します。

前方後円墳は、日本の代表的な古墳形式で、

文字通り、前部が方墳となっており、

後部が円墳になっている古墳の型式を指します。

この前方後円墳は鍵穴のような形に描かれることが多いのですが、

この描き方だと、円が上部に来て、下部に方型が来ます。

この図を見て「これでは、前円後方墳なのではないか?」

と思った方もいるのではないでしょうか?

この疑問は、実際に古墳まで行ってみると氷解します。

古墳の入り口は方墳部にあるので、

こちらが前になるのです。ですから、

前部が方墳で、後部が円墳という呼び方は正当です。

実地を知っている者からすれば、常識と思っているような事柄も、

意外に他の人からみれば不思議なこともあるようです。

もっとも、前方後円墳のイラストを見て、

呼び名に対して、ちっとも違和感を持たない方もいるでしょうから、

人の感じ方というのは、様々なものです。


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